健康寿命と美に関する研究活動で培ったQOL(生活品質)の向上に役立つ情報をお届けします。
Ad
生乳由来ミルクIgGサプリメントのアイジージー ファーストミルプレミアム

オーストリア腫瘍学会会誌2004

ガンの苦しみ:人生の分岐点

Dr.Wolfgang Hingst

2003年5月24にウィーン近郊のバーデンで行なわれたオーストリア腫瘍学会カンファレンスによせての講演

人生の分岐点としてのガンについて、私の個人的な経験からお話させていただきたいと思います。医師の超音波診断は非常にきついものであり、はっきりとしていて、それ以上の慰めの言葉も全くないものでした。

それは「左の腎臓に腫瘍があります。切除しなければなりません。」といったものでした。2001年9月13日にそれは長さ4cmの大静脈血栓と共に摘出されました。切り口は、私の腹部を大きくまたがるものでした。

私はよくそれをサメに咬まれた傷跡のようだと言っているのですが、それでもなお、現代医療(手術と薬剤)は私の命を救ったのです。 もっといえば、私の義兄が受けた、特に難しい消化器系腫瘍の3回にわたる手術や、私の隣人が転移のために耐えた数え切れないほどの手術に比べれば私の経験など足元にも及びません。

ある日、私達は彼がどのようにその全てに耐えたのかを尋ねたのですが、彼の答えは非常に簡単で、”iwi”-“鉄の意思”だ、とのことでした。ガンによる人生の分岐点において、その対処法は人によって様々です。ガンの診断は心に深く突き刺さり、私はすぐさま人生をかけて病気と闘う事を決めました。それが原因を取り除く事にはならない事は明らかでしたが、できるだけ早く腫瘍を手術で取り除きました。しかし、実際の原因など誰に分かるのでしょうか?

心理療法士でさえそれは分かりません。キーワードは、罰としてのガン、性格の表現としてのガン、又は性格の抑圧としてのガンです。 表現としての”ガン性格”は、想像するに、感情の抑制、自己憎悪、自己憐憫および抑鬱によって性格づけられ、ミュンヘン精神分析専門医のWolfgang Schmidbauer氏によると”怒り”を伴う場合のみ、そう解釈されるべきだそうです。

この学説によると、好意的に見ても、ガン患者は”真の自分”、”内なる自分”の発見に至っていないという事になります。しかし、どのくらいの人が自己について知り尽くしていると言えるのでしょうか?自身もガン患者であるアメリカ人作家Susan Sontagは著書の中で、”病気は象徴”、”病気にその意味を見出す事ほど酷な事はない。なぜならその意味は常に教訓的なものなのだから。”と述べています。私の場合、ガンの診断で”同胞”への新しいドアが開いたのです。世界中の全てのガン患者が私の兄弟、姉妹となったのです。死を実感する事が我々を結びつけるのです。

多くの人々の中で、死は理論的な可能性であり実感を伴ってはいません。人々は永遠に行き続けるかのごとく生活しています。死の可能性を実感しながら生きるのはこれとは大きく異なります。しかし、そんな私達にとってさえこれは最初の一歩で、最終的な死への直面化は予想不可能なのです。

私の妻は常にどんな局面においても私を支え続け、超音波診断にも同行してくれました。超音波診断の後、私は異常なまでに口数が少なく、妻に日本人の禅僧である鈴木俊隆の話を覚えているかどうか尋ねました。

ある日、彼は全ての弟子を彼の病床に集め、静かな声で彼が疑われていた肝炎ではなく、肝臓ガンであるということを告げました。彼は、彼の好きなものを何でも食べたり飲んだりできる事や、病気の感染を心配する事なく誰もが彼と再び食事を共にできることを、むしろ喜んだのです。

私は再度その記述を読んでみました。1971年、鈴木は彼の弟子達に言いました。「私はどのくらい生き永らえなければならないのだろうか。それは、誰にもわからない。」彼は彼の担当医に尋ねました。「2年でしょうか?」医師は「最長で、ですね。」と答えました。
そこで彼はこうしたためています”何物も、そして何者たりとも他人の希望を奪う権利はありません”と。
これからお話する事は、私が当時考えていた事です。知人が私にある資料を送ってくれました。それによると、どの情報が信頼できて、どれがそうでないのかと言う事を学ぶべきことをしないでいた私は既に長いあいだ死んでいたのと同じだそうです。
これが私の分岐点になったのです。生命情報科学者でありガンの研究者でもあるHeinz Uwe Hobohmは”再思考”について語っています。彼は、「まず最も重要な事は古い話を信じるな、と言う事だ。ガンは不治の病ではない。免疫システムは患者を見放しはしない。

免疫システムはガン細胞と戦うために常に備えており、恐らくその戦いを勝利に導くために少し余分な努力が必要なだけなのである。」と書いています。この分岐点に至り、私は日本人の禅僧の言葉を思い出し単純に生きる事に対する希望を見出したのです。私は生きたい。私は「治癒力」を確信したのです。最後に、私は常に物事は最終的には正しい方向に行き着くと信じているのです。

昨年親友を胃ガンで失った時でさえ、私はこの考えに疑念を持った事はありません。医師は彼の治療にさじを投げ、それを彼に伝えました。彼はどんな状況になろうとも希望を持ち続けました。そして私達も。彼はバイエルン出身の、非常に献身的で敬虔なカトリック教徒でした。

最期に彼は、今は彼の創造主の元へ行きたい、と私の妻に言いました。痛みや様々な症状が彼を衰弱させていましたが、彼の人生に終わりを告げたいかどうかは彼自身が決めなければならないのです。他の誰にも、それを決める権利はないのです。私は友人が行なったような宗教的な修養会に参加した事はなく、参加する事もないでしょう。私にとって、疑いのない唯一の事は、確実なものは何もない、ということです。けれども、私がこれを乗り越えたかったのは確かな事実です。

私は偶然にも治癒したガン患者と共通の治療を実践していました。それは、”自身が役立つと納得した治療を受ける事”でした。彼は患者が自分自身の運命を自分の手に委ねるべきである事をこう書いています。”『自身の声を聞く事を繰り返し学ばなくてはならない。多くの人が、同じ事の繰り返しの日々が何年も続く事で、その能力を失ってしまうかもしれない。自分の体の治癒能力を信じなさい。あなたがよいと思ってする事は何であれ、あなたの免疫システムによい事なのだから。』

私は診断の後の手術を待っている期間、私の見込みについてジャーナリストとして公平で専門的なリサーチを行ないました。私は自身の症例を他人の症例のように研究しました。血管検査の間、私は画面に写る自身の大静脈に魅了され、自分が検査を受けていることを忘れていました。私は腫瘍自体からワクチンを開発する事が可能であるという考えに至ったのです。私の手術の際、外科医である私の娘婿によって組織の一部が保存され、インスブルックに移送されました。もちろんこれは迅速に行わなければならないことでした。

そして、いま私の一部はそこに凍結保存されています。少なくとも研究は進行中であり、これは私にとってのかすかな希望の光なのです。 私の場合、肺転移が確認されればそのワクチンを使う事になっており、転移はCTによって確認できます。

数ヶ月の観察の後、医師達は驚きを持って細胞腫が消失していることを確認しました。インスブルックの専門医によれば、結果的にワクチンは必要なくなってしまったわけです。私の腫瘍細胞は現在も最後の頼みの綱としてチロルの州都にあり、そしてひょっとすると将来の研究目的に使用されるかもしれません。

術後、私がまだ入院している間に、医師達は最初のよい知らせを届けてくれました。それは、脂肪組織やリンパ節にはガンの兆候は見られない、という知らせでした。さらに、手術前から手術後に至るまで、私の担当医であるWolfgang Koestler氏は私の免疫システムを完全に働く状態にしてくれていました。私はこのような治療は必要不可欠だと思います。

手術以降、私は3ヶ月毎に免疫システムのモニター、血液検査、尿検査、超音波診断、レントゲン診断を受けています。私は、腫瘍が発見される2年も前でさえ免疫システムが変調を指し示していた事を覚えています。しかしその時の私は適切な反応をせず、現実を直視しようとはしていませんでした。

信念に関わる言葉がガンの分岐点に常に関わっていることに疑いの余地はありません。集中治療病棟では、医師達も看護師たちも静かに浮かんでいる天使であるような印象を受けました。私にとって、人間、動物、植物、自然の全て、音楽、芸術、そして宇宙の全てが奇跡だったのです。私達がもしこれらの奇跡に対してより敬意を払う事ができれば、地球上の多くのものが変わってくるでしょう。

ガンの状況ではものの見え方が変わってきます。以前よりも”もの”がはっきり見えるようになるのです。疑いが確信へと変わってきます。家族を強く意識するようになります。彼らの素晴らしいサポートは、命をも救うのです。Wolfgang Koestler氏の『あなたが王様だという事を忘れないで下さい。何が起こるかは、あなたが決める事なのです。』という言葉は無上の助けとなりました。

こういった状況では、「状況は深刻です。」「経過はよくありませんね。」といった医師の断定的な言葉に対して、手も足も出ないでしょう。こういう場合の「あなたは王様なのです。」という言葉は非常に効果的です。その言葉が私の回復を助けたのです。名高い研究者であるCaryle Hirschbergは少し異なる表現をしており、「病気の診断は受け入れなさい。しかし、経過予想については絶対に受け入れてはいけません。」といっています。これこそ、まさに私がとった行動なのです。

3つめのポイントは、論理だけでなく、自分の気持ちに素直になる事です。私は常にかなり理論的な方でしたが、私の手術担当外科医を決めるとき、全てが瞬く間に進んでいった時でさえ、自分の気持ちに素直に行動しました。この事は、後にハイデルベルクの著書チームによって書かれた、”ガンを治す110の効果的治療法”というやや変わった表題のついた本で紹介されました。”自分の道を信じよ。”という副題の元、そこには”必要で理にかなった情報のみならず、感情を考慮した決断は必要不可欠である。自分の気持ちに耳を傾けよ。”といった内容が書かれています。

もう1ついえるのは、私の中で感謝の気持ちが大きくなった事です。毎日、私を生かしてくれている残った腎臓に感謝しています。手術後、病院のベッドに横になっているとき、私はアフガニスタンで食べ物を得るための行列に並んでいる老人の写真を雑誌で目にしました。 私は隣のベッドの方にこう言いました。「もし私が彼のような状況にあって今の自分の病気にかかっていたら、私は長くは生きられないでしょうね。」この事は痛ましくも統計によって確認されています。先進国ではガンによる致死率が50%なのに対して、後進国ではそれは80%にまで上昇します。

当然な事ながら、私はなぜ自分が病気になったのかを考えました。私には病気となる背景があったのです。1992年にWolfgang Koestler氏の助けのもと、私は免疫学の小冊子を発行しました。私にはガンの原因についてのある考えがあったのです。基本的な定義は、ガンは体の免疫機能が弱まったときにのみ生じるというものです。さらに、その進展は様々でもあり、いくつかの内因性または外因性の因子が同時に作用しなければならないのです。一般に、どのような災難にも多くの原因があるものです。

Wolfgang Koestler氏と同様、私は原子力の狂気に対して反対運動をしていました。1995年、当時私が携わっていたラジオ番組”Arguments”がその反対運動の結果、放送終了に追い込まれました。ある日、ヨーロッパ原子力評議会の陰謀についての生放送を終えた後、Wolfgang Koestler氏が私を車で送ってくれていました。

その時、私達は”Atom 1″と名前の入ったナンバープレートをつけた車の後ろを走っていました。この趣味の悪さに対する私達のコメントは、私達が生涯の友人となる基礎となりました。この時の私達には、これが”Argument”最後の放送となるなどとは、知るよしもありませんでした。

今日の、ガンの原因についての議論で「病気は自分自身のせいなのだ。もしあなたがもっと健康的な生活をしていれば、それ起こらなかったはずである。」といった事がよく言われます。もちろん、ジャーナリストの生活は長生きにつながる生活とは言えないでしょう。しかし、なぜそれ以外の要因についての議論がなされないのでしょうか? 例えば、キーワードはチェルノブイリです。放射能負荷量は1945年から世界中で約3倍になっています。この数字を出したのは私ではなく、偉大なアメリカ人John Gofmanで、1991年にこの大災害の5周年を記念して作られたパンフレットにそれが記されています。 彼は、「私の試算では、チェルノブイリ事故によってヨーロッパとソビエト連邦を併せて、ほぼ100万人がガンにかかると考えられる。そのうち半分の症例、つまり50万人前後についてはそれが致死的なものとなるだろう。残りの50万人については致死的な物にはならないにしてもガンである事には違いなく、それに苦しむのは目に見えている。」9と述べています。当時、私は自分がその1人になるとは考えてもいませんでした。しかし、現在、私もその1人であったことは明らかなようです。

私達は放射能が腎臓に深刻な影響を与える事を知っています。2000年7月、ある研究が発表され、バイエルン原子力発電所の周辺地域である Grundremmingen、Isar、Grafenrheinfeldにおけるガンの発症率が通常よりも20%高い事が示されました。これらの症例のほとんどが腎臓ガンおよび中枢神経系の悪性腫瘍でした。

原子力発電所の周辺でガンの発生率が高い事は昔から知られていました。しかし、数え切れないほどの関連研究があったにもかかわらず、新たな研究しか行なわれませんでした。こういった無関心は利益中心で動いている全ての場所で見られます。私は最近チューリッヒで出版した自著、”楽園か終末-私達には選択肢がある。”でこれについて述べています。

私はこの本の中で、著名な未来学者の研究結果に基づき、もし我々が今までのようなやり方を続けいけば世界の終わりは今世紀中に訪れる、と述べています。現在のアメリカ合衆国の政策は権力支配と殺人および環境破壊を通し、最も明らかにそれを示しています。問題提起と同時に、私は解決案とこの難局から抜け出す方法もこの本の中に示しています。私は生き残りたい側の味方なのです。私の座右の銘は「チャンスがない事を武器にせよ。」です。

私の頭からはなれないある出来事がIsar原子力発電所で起こりました。1995年、私はオーストリアを脅威にさらす、国境近くにある原子力発電所のドキュメンタリーを撮影するクルーと共にそこで1日を過ごしました。私はそれまでに近隣諸国にあるほぼ全ての原子炉を訪れていました。

その日の午後、原子力発電所を出る際に私達全員が放射能検出器を通らなければなりませんでした。他の人達には何も起こりませんでした。私の時だけ、検出器のブザーがなり、モニターには体の左側に点が示されていました。私はとにかく動揺しました。受付の紳士は私にこれはよくある事だと言いました。本来なら、施設内部と施設外で汚染除去するべきだったのでしょう。もちろん、生きている間に私達は多くの毒性物質にさらされており、それらも外因性ガン誘発物質ではあります。環境中の毒性物質濃度は非常に高い為、誰もそれから逃れる事はできません。最も影響を受けるのは、またしても、多くの物質に対して大人より強い反応を示す子供達です。

もちろん、これで急死する人はいないでしょう。毒性物質は忍び寄ってくるのです、長い、長い時間をかけて。私達に忍び寄るこれらの毒性物質に関する私の懸念は、私の知る限りではドイツの毒物学者Max DaundereとOtomer Wassermannと共通しています。 異常増加した電磁スモッグによっても毒性物質が体内に取り込まれやすくなります。つい最近スウェーデンの研究者が、法定限界の1000分の1の携帯電話の放射線が脳に悪影響を及ぼすことを再度証明しましたが、携帯電話依存症の人たちは衰えるところを知らず、携帯電話ネットワークは拡大し続けています。もちろん、内因性の要因、特に遺伝を無視する事はできません。

これは私達の生命の証なのです。外因性であれ内因性であれ、染色体の損傷なしに革命は起こり得ないのです。これらの事実が白日の元にさらされた今、私はガン細胞を怪物扱い出来ないですし、私自身の免疫システムがこれと戦わなければならないのです。 これらは私のガン細胞なのです。そして私がそれを成長させたのです。それにも関わらず、もし私の生命が脅威にさらされれば、もちろん私はそれに抵抗する権利があり、もっと言えば、義務さえあるのです。

さらに、私は自身の免疫システムを最適の状態に保たなければなりません。約20年前のオーストリアでViktor Dostalが初めて免疫システム細胞の計数の可能性について発表し、その結果免疫細胞の生存および弱点を確立した際、医学会はそれに対して、せいぜい懐疑的な驚きを示しただけでした。

私は何が起こったかを個人的に目撃しましたが、当初、先駆者の行為は賞賛されることなく貴重な時間が無駄に過ぎてしまいました。この時間的な遅れは、現在わずかな専門医だけしか検査結果を解釈する事ができない、という点で私達に影響を及ぼしています。 私にとっては、免疫システム療法はガンの治療に最大の可能性をもたらしてくれます。この療法を使用可能にするには、更なる研究に研究を重ねる事が必要です。

私はここで内因性の原因について再度ふれておきたいと思います。私の手術前に、Wolfgang Koestker氏は私に歯科検診を受けさせました。2本の歯を抜かなければなりませんでした。これらはいずれも感染しており、このうち1本は腎臓と関係が深いと言われている歯でした。1年以上前にホメオパス(全ての病症にそれに似た作用を起こす極微量の劇毒薬を投与する治療医・ドイツを中心に今日も民間療法的に普及)とお話しているとき、私は色彩が私にとって非常に重要である事に気がつきました。この事は私を良い方向に向かわせてくれました。

ある日、私は絵の具の入った絵の具箱と絵筆、そして紙を買い込み、絵を描くことをを始めました。最初のうち、これは私にとって冒険のようなものでした。そして現在、人生の喜びを表現する絵は、私にとってかけがえのないものとなりました。 これは後になってからの事なのですが、私は先述のハイデルベルクの著書チームによって書かれた本を読み、私は本能的に、そして家族や友人のサポートを通して、正しい行動をしていたのだ、という事を確信しました。私は自分が被害者だという意識を持ってはいませんでした。そして、私は生きたい、という明確で決定的な目標を掲げていました。ハイデルベルクの著者達が「被害者という意識のある人は自身の治癒力を引き出すのが難しい・・・」と述べているのは素晴らしく正しいのです。自分で目標を決めましょう。「私は生きたい。」と。生きる事への意思は死を避ける事よりも強いのです。「死にたくない。」というのは目標ではありません。 残念な事に、世界中の資料が腫瘍に関しては非常に悪い方向に進んでいることを示しています。これは、化学療法用薬の売り上げが1980年から1990年の間に3倍に上がっている事からも見て取れます。

1990年代初頭、その取引高はなんと5000億円でした。世界のガン患者は500万人から600万人にまで増加しました。より正確にいえば1989年から1999年にかけての、ガン治療の為の世界の化学療法用薬の年間取引高は、4倍以上に増加しました。 WHO発表の、最新のガンレポートはさらに悪い状況を示しています。ガンは世界中でより大きな脅威となっているのです。2020年までには新たなガンの患者は50%増えて15万人に達するでしょう。このことは1980年に比べるとガンの患者が2倍または3倍にまで増える事を意味しています。

これは過小評価であるかもしれません。他の予測では次世代では2人に1人がガンに苦しめられるだろうと言われています。これらぞっとするような数字のグラフは既に机上にあるにもかかわらず、この動向を止める為の動きが少なすぎるのです。危険は軽視され、時には完全にもみ消される事もあります。より高い平均余命を挙げ、不健康な食生活とタバコの摂取をガンの原因とするWHOによる情報の解釈は憤慨にたえません。これらの因子が一役買っている事に疑念の余地はありませんが、放射線の影響や化学物質の氾濫、遺伝的要素を単純に無視すべきではありません。

ドイツの雑誌’Raum&Zeit’の発行者であるHans-Joachim Ehlersは、WHOを全く信用しておらず、「世界で数々の最も大きな製薬会社と結びついていて、そして、どこの国でも彼らの頭にあるのは利益の事だけなのだ。」と、その首脳陣のことを表現しています。 この世界で政治的責任を担う人々が単純にガンの発生率の増加を受け入れ、それに対して深刻な対応をせず、科学の私物化とそれに伴う営利化を傍観している事は、重大な過ちです。 これらの事が容認されずにもみ消される限り、そして免疫システムをモニターする機会を持ったり、関連する免疫療法に真剣に取り組んだりしない限り、さらに、より多くの予算が保険機構よりも、いわゆるハイテク戦闘機やロケット、兵器、地雷そして戦争一般に使われる限り、私達にこの流れを食い止めるチャンスはないのです。

私が退院して家に戻ってきたとき、私は今までの生活を一新しようと自分自身に誓いました。私は古くて後ろ向きの考えをすて、前向きな事のみに集中したかったのです。結局、それは理想にすぎないと自然に分かりましたが。同時に理想の世界の為に私自身を捧げ続けなければならない事に気がついたのです。外部の事情は決定的な事ではないのです。これは、心の中の気持ちの持ちようにも大きく左右されており、この事は、私の中では確固たるものなのです。私は今、死と再生の中にいます。 私の本を楽しんでくれた、あるウィーンの女性が私に”素晴らしい新世界の未来像を持ち続けてください、そして人類にとって最高の結果をお祈りしています。”というメッセージを添えたカードを送ってくれました。私は、この事こそが私の使命だと考えています。
«
»