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オーストリア腫瘍学会会誌2002

転移性前立腺ガンの治療報告

Dr. med. Eva Sischka

患者:男性、1937年生まれ

既往歴とその背景:

1978年 虫垂切除。
1986年 回旋筋腱板損傷(スキー事故)外科的再建術施行。
1988年 左半月板手術。

14歳から肉体重労働に従事。慢性的な骨格筋症状を訴え、オーバーラーで定期的な理学療法を受けていた。スポーツでも活躍しており、年間3~5週間をス キーに費やし、1年に1000~2500kmのサイクリングをしていた。健康診断、特に尿検査などを受けたことはなかった。

治療経過

1999年10月、腰背部にズキズキする痛みを初めて訴え、長期間にわたってこの痛みが持続するため、1999年11月に泌尿器科専門医を受診した。標準的な泌尿器検査の後、泌尿器科専門医は経静脈的腎盂造影(IVP)とPSA値を含む臨床検査を実施した。

IVP (経静脈的腎盂造影):左の腎臓に問題はなかった。右の腎臓には、小骨盤内の著しい尿道閉塞をもたらす大きな閉塞物があった。さらに、骨盤構造の変化が認められ、それはおそらく2次的変化と思われた。

臨床検査:PSA(前立腺特異抗原)値は100以上であり、その後、患者は泌尿器科病棟へ入院した。入院中の検査では、超音波検査や直腸触診が行われ、患者は前立腺ガンの可能性があると診断された。その後の検査によって、前立腺ガンと確定された。

臨床検査:PSA値は約900。ALP(アルカリフォスファターゼ)値、ACP(酸性フォスファターゼレベル)値の著しい上昇が認められた。
骨スキャン:転移あり。
前立腺穿刺:腺癌、Gleason-score 9。

実施した膀胱鏡検査では尿道は検査できなかったため、腎瘻チューブを用い右の腎臓の閉塞を軽度にした。Casodex(R)1日2回と Zoladex(R)デポ(3ヶ月間)の投与によってホルモンを完全にブロックする治療が開始され、尿路性敗血症は抗生剤で処置された。退院後、患者は以 下の計画に従いIsorel-A(R) (multi pack IV)治療を開始した。

月曜日:3アンプル
水曜日:4アンプル
金曜日:5アンプル
月曜日:5アンプル
水曜日:4アンプル
金曜日:3アンプル
月曜日:3アンプル
水曜日:3アンプル
金曜日:5アンプル

経口治療:銅-セレン液アンプル、EtocovitビタミンE カプセル。

その後、数週間から数ヶ月のうちに、患者の健康状態は急激に改善し、さらに、両尿道の閉塞は著しく減少したため2000年3月に腎瘻チューブが抜去された。泌尿器系検査では良い結果が得られている。

2000年4月、PSA値は0.3を示し、これは正常範囲内であった。患者はスポーツを再開し、夏には1日60-80kmのサイクリングを問題なくこなした。抗ホルモン療法は根気よく継続された。抗ホルモン療法は継続されたが、Isorel治療はコンプライアンス不良のため2000年の5月に中止した。

2000年9月、1週間のハイキング休暇の後、患者は腰椎部分と左腰部の痛みが増強していることに気付き、非ステロイド性リウマチ薬にて治療した。

2000年12月上旬、心筋梗塞による突然の親友の死後、患者の健康状態は急激に悪化した。患者は短い距離しか歩けなくなり、痛みは治療に対し耐性を示し始めた。12月中旬、患者は再度泌尿器科病棟へ入院した。患者の臨床検査値の全てが急激に悪化していることが判明し、特にPSA値は500以上に上昇していた。骨スキャンが広汎性の転移を示していたため、放射性ストロンチウム(metastron)が疼痛緩和のために投与された。

また、Xefo(R)やArthrotec(R)に加えDurogesic(R) 50mg 貼付剤が投与された。その後、Zofran(R)の投与にもかかわらず重度の嘔気や嘔吐が継続したため、モルヒネ治療は25mg貼付剤に減量された。

Durogesic(R)の長期投与で副作用(嘔吐や頑固な便秘など)が軽減することはなかったにもかかわらず、Oxycontin(R)の試験的治療が試された。 数日後、黒色下痢便(下血)が生じ、治療は中断せざるをえなくなった。

患者が再入院した際、患者はガン性貧血(赤血球1.7以下、白血球2500、HCT 16)と診断され、数回にわたり輸血が行われた。濃縮血小板やエリスロポエチンの投与にも関わらず、頻回に実施された血液検査で血小板値は低下し続け、患 者は血液内科病棟に搬送された(2001年5月中旬)。血液内科病棟で骨髄穿刺を行った際、転移ガン組織のみ吸引され、重症骨髄不全が最も有力な診断で あった。その後、定期的な血液検査と外来での輸血が計画された。しかしながら、病院への往復は徐々に患者の負担となり、最後には配偶者に付き添ってもらわ なければ通院できない状態となった。ある日、輸血の際に患者は虚脱状態となり、再入院を余儀なくされた。彼は、定期的に赤血球と濃縮血小板を投与され、モ ルヒネ治療はHydal(R)に変更となった。この入院中に再度下血が認められたため、患者の状態は思わしくなかったが、胃カメラと結腸鏡検査が行われ た。これにより、血小板数低下による腸内の大出血が明らかとなった。大出血はソマトスタチンの注射とLosec(R)の投与により止血された。

2001年6月中旬に退院し、その後は数度の検査と輸血が外来治療で行なわれた。7月下旬より、患者は鼻出血が持続し血液内科病棟に再入院した。こ の段階において、既に、2001年の始めからすると体重は約20kg減少していた(80kgから60kg)。入院期間中、患者の状態は急激に悪化した。患 者は重度の黄疸を示し、1日のほとんどを寝て過ごし、なかなか起きることができず、多数の粘膜出血が認められ、頸部と鼡径部のリンパ節は著しく腫れ上がり ボコボコしていた。上腹部の超音波検査では明らかな肝転移が認められ、胸部X線検査では胸膜の癌腫症、頭部CTでは髄膜の癌腫症が認められた。臨床検査値 は重度のガン性貧血を示し、PSA値:5000以上、LDH値:3500以上であった。

患者の不幸な予後を考慮し、在宅で瀕死の患者の看病をしたいという家族の要望が受け入れられた。Losec(R)、Hydal(R)、 Importal(R)以外の全ての治療は中止された。その後の6週間、患者の状態はさらに悪化した。患者はほとんど会話できず、時間や場所の感覚もな く、ほとんど食べる事もできなかった。定期的な下剤(Importal(R), Guttalax(R), Mikrolist(R))の使用にもかかわらず、数日間排便は認められなかった。このときの患者の体重はたったの45kgであった。

浣腸治療のための再入院を避けるため、8包のMovicol(R)を1リットルの水に溶解し、6時間にわたり投与した。数時間後には腸の内容物は完 全に排泄され、数日後には健康状態の著しい改善が認められた。患者は少量ではあるが再度食べ物を摂取できるようになり、短時間ではあるが上半身を起せるよ うになり、もはや見当識を失うことはなかった。この回復を機に、もともと2001年10月に開始予定であったのZoladex(R)デポ注射療法が再開さ れた。その際、Casodex(R)による追加薬物治療は行われなかった。

9月下旬の臨床検査では、病気に関連する全ての検査項目の数値は低下を示した。PSA値は250まで低下し、2ヶ月間輸血をしなかったにもかかわら ずガン性貧血は改善した。患者は、益々活動的になり、再度短い距離ではあるが歩けるようになった。2001年11月、経過観察のため行った肝臓の超音波検 査の際、肝転移は認められず、また、頸部と鼡径部のリンパ節の腫脹も触知できないほどであった。週3回のエリスロポエチンによる治療は、血球数の持続的な 改善をもたらした。1回16mg 1日2回のHydal(R)は、1回4mg 1日2回へと減量された。Zoladex(R)デポの注射は3ヶ月ごとに投与された。泌尿器学的所見としては、前立腺の触診ではガンほとんど触知できな かった。超音波検査では両腎臓に塊はなく、残尿もなかった。最新のPSA値(2001年12月)は9であった。

患者の訴えは、今のところ、中程度の足関節のむくみと、時々ある下肢のズキズキする痛みのみである。

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